午後の遺言状

午後の遺言状 (1995)

人は 生きているかぎり 生きぬきたい

夏、蓼科の別荘に避暑にやってきた老女優は、毎年のように別荘の管理をしている農婦に迎えられる。30年間その関係を保っている2人は、今年も蓼科でさまざまな出来事に遭遇していく。そして、老女優は農婦から重大な秘密を知らされる。

公開日
1995-06-03
TMDB
7.1 / 10 (14)
上映時間(分)
1時間50分
ジャンル
ドラマ
監督
新藤兼人

キャスト

豆知識

  • 受賞:1 · ノミネート:0. 主な受賞:ブルーリボン賞 作品賞

『午後の遺言状』(ごごのゆいごんじょう)は、1995年公開の新藤兼人脚本・監督による日本映画。

製作

主舞台となる蓼科の別荘は、新藤乙羽夫妻の実際の持ち物。愛に生きた3女優の波乱の人生を縦糸に、「老い」への問いかけを横糸で紡ぐ映画はクランクインを待つばかりだったが、その矢先の1993年夏、乙羽が重い病に侵されているのが判明し、新藤は身を切るような選択を迫られた。乙羽は末期の肝臓がんで、新藤と次男で近代映画協会社長の新藤次郎は主治医から「17カ月の命です」と告げられた。撮影は自然の生命が吹き出してくる若葉の季節、1994年春からと決めていた。しかし夏場は杉村春子の公演があるため、撮影は中断し、最終ロケは1994年9月にずれ込むことが決っていた。乙羽はそこまでもつのか、もし撮影中に倒れて、映画が完成しなければ、小さな独立プロにとって死活問題になることは間違いなかった。「乙羽さんは女優一筋に生きてきた人。演じない役者は石ころと同じ。女優らしい最期を演じさせてあげたい」と新藤親子は乙羽本人にもスタッフにも乙羽が末期がんと知らせずに撮影を敢行することを決意した。

もう一つの大きな問題は、映画館に足を運ぶお年寄りが少なかった当時、老人が主役の映画など見向きもされず、配給先は決まらない。映画が完成する保証もないことから、製作費1億8000万円は自前で調達しなければならなかった。乙羽が全財産をはたいて製作費の半分を出資。残りを新藤と近代映画協会で折半した。

1994年5月17日クランクイン。乙羽は週に一度、抗がん剤を打つため、車の後部座席に横たわり東京を往復した。監督の気遣いから乙羽の演技シーンは「本番一発OK」が多かったが、ある日、乙羽が「センセイ、今回はいつもと比べて撮り方が早いわ。わたしのことは気遣わないでいつものように粘ってやりなさい」と新藤に囁いた。

撮影の最後は新潟県寺泊ロケ。2カ月半ぶりにスタッフの前に姿を見せた乙羽は別人のようにやつれて、誰もが永くないと気付くほど。完成後のスタッフ試写を乙羽は一度だけ観ることができた。最期まで「老人ばかりの映画が受けるのかしら」と気に掛けながらその2カ月後に生涯を閉じた。映画の公開は乙羽が亡くなって半年後のことだった。

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