ポルノ時代劇 忘八武士道

ポルノ時代劇 忘八武士道 (1973)

A Ronin with a death wish reluctantly joins the Clan of the Forgotten Eight, a nasty crew of ronin who are wrapped up in a clan war over local prostitution.

公開日
1973-02-03
TMDB
6.6 / 10 (35)
上映時間(分)
1時間21分
ジャンル
アクション
監督
石井輝男
シリーズ
Bohachi Bushido Collection

キャスト

豆知識

『ポルノ時代劇 忘八武士道』 は、1973年公開の日本映画。小池一夫原作、小島剛夕画の漫画『忘八武士道』の映像化で、主演は丹波哲郎、監督は石井輝男。

製作

石井輝男監督は「原作の熱狂的ファンだった丹波哲郎が、自分でやりたくて企画を持ち込んだ」と述べている。『週刊文春』1973年2月26日号に「東映のポルノ時代劇『忘八武士道』を企画・主演した丹波哲郎」と書かれている。劇中で「二代目首切り浅右衛門が使った鬼包丁」と説明される長い刀は、丹波が自分で用意したという。丹波は『映画秘宝』2005年12月号のインタビューで、「これは僕が原作の権利を持っていたんですよ。当時、私は『さむらいプロダクション』という自分のプロダクションを持っていて、そこに小橋智子という有能な女性プロデューサーがいて、彼女が原作権を5年間の限定で安く買っていてね。あと半年で権利が切れるというときに、東映から『やりましょう』という話が来て、それで動き出した。サブタイトルに『ポルノ時代劇』って付いているから、こういう企画なら石井輝男だろう、石井ちゃんなら僕も付き合いが古いから、って話が進んだと記憶しています」「製作費は本当に少ないけどとにかくやってみようということで始まった。

脚本の佐治乾が原作をめちゃくちゃに分解してホンを作ったため、どうにもならないから、石井がプロデューサーに「原作通りやったらどうか」と提案し、了承されたため、石井が全面的に原作に忠実にホンを書き直した、脚本料は貰っていないと述べている。同じ佐治脚本だった1961年の『花と嵐とギャング』も同様に全部書き直したという。「佐治さんとは合わない」などと述べている。

石井は「主演の丹波哲郎もノって、二人で遊んだ感じ」と述べている。丹波は当時から催眠術や占星学に凝っていることで芸能界では有名で、『人間革命』で戸田城聖を演じる予定があった。また自称剣道七段という腕前から、「丹波道場」という名前の剣道場を建てるべく、高円寺あたりの土地を物色中であった。千葉真一の体育クラブ、内田良平の演劇サロンなど、タレントが趣味や仕事で個人的なサークルを持つ例はあったが、剣道場は初めてだった。丹波は道場設立の目的として「髪を伸ばし、男か女か得体の知れなくなった青少年の根性を叩き直す」と述べた。また会長に川内康範、師範に剣道二段の五社英雄ら、芸能界の有段者を迎え、剣道だけでなく、タレントの育成や、テレビや映画の企画などもやる多角経営の方針を示していた。

遠藤辰雄も芝居が達者で、あそこまで照れずにクサくやってくれたことに感心したという。ひし美ゆり子を始め、女優はみんな気のいい子で何の文句も言われなかったと石井は述べている。全編にわたって素っ裸のままのアンヌが、外国人女性の乳房を舐めまわす絵面はかなりシュール。川谷拓三が、前半に天井に潜む黒鍬者の忍として、エンディングで「御用だ!御用だ!」の岡っ引として顔面を赤く染め、2度登場。

徹頭徹尾敵味方の女性の裸体が入り乱れ、性戯や拷問を繰り返す。死能が役人たちを次々にぶった斬り、腕や、耳、生首が飛び、血飛沫が吹き出すスプラッター描写は70年代ハードボイルド時代劇の定番であった。クライマックスの手や足が飛び交う描写はバレエっぽさを取り入れた。石井は「公開当時は『残酷だ』と言われたが、年を経て笑われるようになった」と述べている。

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