幕末太陽傳

幕末太陽傳 (1957)

乱世を唄う世にも痛快な艶笑喜劇!

幕末の混沌とした時代、にぎわいを見せていた品川宿の遊郭旅籠の相模屋にひとりの町人・佐平次が訪れる。女郎のおそめを気に入り豪遊するが、実は佐平次は一文無しだった。その翌朝、佐平次は金がないことを若い衆に打ち明けるが、口八丁でその場に居座ってしまう。そして金を返済するためと相模屋で番頭まがいの仕事を始めた佐平次は、下働きから女郎衆、遊郭に出入りする人々のトラブルを持ち前の度胸と機転で解決してみせ、さらにお礼の金をしっかりためこんでいた。また、相模屋に逗留し攘夷の計画を練る長州藩士の高杉晋作、久坂玄瑞らとも交友を深め、いつしか佐平次は遊郭内で一目置かれる存在になっていく。

公開日
1957-07-14
TMDB
7.0 / 10 (41)
上映時間(分)
1時間50分
ジャンル
コメディ
監督
川島雄三

キャスト

豆知識

『幕末太陽傳』(ばくまつたいようでん、新字体で幕末太陽伝とも表記)は、1957年(昭和32年)7月14日に公開された日本の時代劇映画。監督:川島雄三、主演:フランキー堺。モノクロ、スタンダード(1.37:1)、110分。

製作

本作の冒頭に表示される「日活製作再開三周年記念」とは、戦時中の企業整備令(1942年)によって製作部門が(大都映画、新興キネマとともに)大映に合併したことで配給専門の会社となっていた日活が、戦後の1954年に日活撮影所が再興したことで自社作品の製作を再開してから3周年という意味である。新生日活は撮影所再開に際し、主に技術部門を東宝から、監督部門を松竹大船撮影所からそれぞれ引き抜いた。本作をまかされた川島雄三もまた、松竹大船からの移籍組(他に西河克己、鈴木清順、今村昌平などがいる)であった。

脚本に原作はなく、田中啓一(山内久の変名)、本作のチーフ助監督も務めた今村昌平、川島の3人が共同でオリジナル脚本を執筆した。落語『居残り佐平次』から主人公を拝借し、『品川心中』『三枚起請』『お見立て』など、遊郭・妓楼を舞台にした落語の演目の要素が随所に散りばめられ、英国公使館焼き討ち事件が題材に加えられた。

日活は当初文芸映画や新国劇との合作を主としたが、1956年に『太陽の季節』を大ヒットさせると、同作出演により新時代のスターとなった石原裕次郎らが主演する若者向けの作品を量産する路線に転換した。『太陽の季節』など一連の「太陽族映画」に対する世間の風当たりは強く、日活内部でもこの路線を拒否する傾向が強かった。そんな中で川島らが会社に提出した脚本は幕末の「太陽族」を意識させるものであり、以後映画が完成するまでの間、川島と日活上層部との軋轢が絶えなかったという。

高杉晋作役は本来三橋達也が予定されていたが、彼の方から断ったため、太陽族の象徴的役者であった石原裕次郎が演じることになった。

本作冒頭タイトルバックのナレーションを務めたのは加藤武である。彼はフランキー堺と親交が深く、本編にも出演したかったそうだが、スケジュールの都合でナレーションのみの参加となったという。

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