連合艦隊

連合艦隊 (1981)

その時―海は歴史を見つめていた。

昭和15年、船大工の小田切武市は、ひとり息子の正人が海軍兵学校に合格したと聞き、大喜び。一方、考古学者の本郷は、長男の英一が自分の反対を押し切って海軍少尉となったのに引きかえ、次男の真二が自分と同じ学問の道に進むと聞いて、ほっと胸をなでおろす。翌年、日本はハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が勃発。たえず死と隣り合わせにある英一は、恋人の陽子と結婚するが、彼女に指一本触れることなく戦場に舞い戻る。

公開日
1981-08-08
TMDB
6.6 / 10 (16)
上映時間(分)
2時間25分
ジャンル
戦争, ドラマ
監督
松林宗恵

キャスト

豆知識

『連合艦隊』(れんごうかんたい)は、1981年(昭和56年)8月8日に劇場封切り公開された特撮戦争映画である。東宝映画製作・東宝配給。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ。上映時間は145分。

製作

戦争映画にかけてはドル箱「8.15シリーズ」で実績がある東宝は、東映が『二百三高地』を製作中に大ヒットは間違いないと予想し、『二百三高地』が封切られた1980年夏には本作品の製作を決定して準備を急ぎ、1981年夏の公開を決定した。東映は『二百三高地』に続き、戦記物第二弾として『大日本帝国』を用意したが、東映でこしらえたブームを東宝にさらわれた格好になり、競合を避けて『大日本帝国』を一年先延ばして公開した。

本作品の企画は、1966年に検討用脚本が書かれた『史上最大の海戦 レイテ』および1972年に検討用脚本が書かれた『連合艦隊の栄光と最后 レイテ』が元になっているとされる。

東宝入社後、13年の劇場勤務の後、1977年4月に課長待遇で東宝映画に出向した高井英幸は間もなく、東宝社長の松岡功に東宝本社の社長室に呼び出された。松岡は「映画が厳しい時代は、それまでの映画を作る人たちではなく、映画館の現場でどのような映画がヒットするか、実際に営業や宣伝で苦労してきた人たちが製作に参画すべき」という考えを持っていた。松岡から「こういうものに興味があるかどうか聞きたい」と言われ、一通の企画書を手渡された。表紙には『連合艦隊』と書いてあった。「こういう作品は、興味がない人にやってもらっても上手くいかないので、興味がないなら遠慮なく言って下さい」と言われた。高井は洋画にかぶれた映画少年で、日本の映画はほとんど観たことはなく、勿論戦争映画は全く興味がないジャンル。東宝映画で高井の直属の上司は田中友幸で、「なぜ田中社長でなく私に?」と言葉に詰まったが、企画としては取り組み甲斐のあるものと閃き「興味があります」と答えた。

高井はその日から国会図書館や古本屋に通いつめ、連合艦隊と太平洋戦史を勉強した。切口をどこに置くのか迷っていた時、高井が本社にいたら、高井を見つけた松岡が声をかけてきて「あ、そうそう、言い忘れていました。過去の戦争映画で、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦、山本五十六の戦死などドラマチックなエピソードはすべて描かれてしまった。だからといって今回それ以外の秘話や裏面史を探し出そうなどと考えないように。秘話は一部の観客しか興味を持たない。既に描かれてきたエピソードが最もドラマチックなんです。だからこそ映画の素材として早く取り上げられたんです。それ以上のもの探してもないんです。今回も、これまで描かれたエピソードを照れずに使って下さい」と言われた。あまりにもタイミングよく、心を見透かされ、その透視力の驚き反論のしようもなかった。

1981年1月13日クランクイン、1981年4月16日神奈川県茅ヶ崎海岸にてクランクアップ。

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