北の零年

北の零年 (2005)

明治4年(1871年)、小松原志乃は稲田家の家臣一同とともに、先遣隊として静内にいる夫・英明のもとへと向かった。静内の地を開墾すれば稲田家の領地となるという政府の言葉を信じ、一同はみな希望に満ちていた。厳しい冬に苦しむ一同に救いの手をさしのべたのは、アイヌのモノクテとアシリカだった。最初の冬を越え、ようやく稲田家当主(殿)が到着するが、廃藩置県によって移住命令が反故になったことだけを告げ、そのまま帰国してしまう。置き去りにされた一同は、それでも英明の檄のもと開拓に夢を託すが、作物はなかなか根付かない。状況を打開するため札幌へと向かった英明は消息を絶ってしまい、残された一同にも過酷な運命が待ち受けていた。

公開日
2005-01-14
TMDB
5.7 / 10 (10)
上映時間(分)
2時間49分
ジャンル
ドラマ, 履歴
監督
行定勲

キャスト

豆知識

  • 受賞:1 · ノミネート:4. 主な受賞:日本アカデミー賞最優秀主演女優賞

『北の零年』(きたのぜろねん)は、2004年製作、2005年公開の日本映画。主演は吉永小百合。

製作

本作の製作は北海道札幌駅の駅ビル再開発事業JRタワーステラプレイス内のシネマコンプレックス(以下、シネコン)・札幌シネマフロンティアの2003年2月開業と関係している。

1999年の第10回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭の期間中、JR北海道の当時の社長・坂本眞一が、東映常務・岡田裕介(2002年6月東映社長)に「封切作品を全部揃えるような映画館を作りたい。それは外資系シネコンしか無理なのか」と言った。当時建設準備中の札幌駅JRタワーに外資系シネコン・AMCシアターズ、UCI、ヴァージンシネマズから進出の打診が坂本にあったためで、坂本から「日本の企業一社に受け請って貰うのは心配だ」と言われたため、岡田は「日本でも大丈夫です。私が実現可能なように努力をするから時間を下さい」と伝えた。当時はシネコンはまだ黎明期で、松竹、東宝もシネコンを開業して間がなく、東映はまだシネコンを開業していなかった。1993年のワーナー・マイカル・シネマズ海老名(現イオンシネマ海老名)の開業以降、AMCが南の拠点ともいうべき福岡県福岡市のキャナルシティ博多に初の都市型シネコン・AMCキャナルシティ13を開業した際は、日本の興行会社は"黒船襲来"と騒いだ。

稲田家の家臣による北海道開拓の話は船山馨の『お登勢』に記述があり、岡田裕介が1980年代前半に映画化しようとしたことがあったが、製作費も高くなりそうでそのままにしていた。他の素材も探したが、吉永が『お登勢』、『石狩平野』などの船山作品のファンで、以前から北海道を開拓した人々の物語を映画化したいという希望を持っていることを知る岡田は、この企画なら吉永を主演で口説き切れるかもしれないし、開拓時代の話は悲惨なものが多いが、今の北海道の再生の基盤になるような映画なら北海道の財界から協力を得られるのではと考え、まず坂本に打診し了承を得た。

なお、本作は脚本を担当した那須真知子のオリジナル作品であるが、上記の通り船山馨の北海道開拓をモチーフにした2作品(『お登勢』、『石狩平野』)を参考にしており、本編のクレジットでも参考文献として紹介されている。

1996年の『霧の子午線』で、吉永が那須真知子のさっぱりした性格と気が合っていたことから、岡田が那須に脚本を頼み、2003年の年明けに脚本の第一稿ができて、吉永に読んでもらっところ吉永は出演を即決した。吉永が「監督は誰ですか」と聞いたため、「誰かご意向がありますか」と聞くと、吉永は「最近の映画を見て、行定勲さんはどうですか。若手と一回やってみたい」と言った。

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