太平洋の鷲

太平洋の鷲 (1953)

Admiral Isoroku Yamamoto, a brilliant tactician, is a loyal subject of the emperor, despite his grave misgivings about leading Japan's navy into war with the United States. He opposes the attack on Pearl Harbor, but, overruled, he leads his forces to the best of his ability.

公開日
1953-10-21
TMDB
7.8 / 10 (10)
上映時間(分)
1時間59分
ジャンル
ドラマ, 戦争
監督
本多猪四郎

キャスト

豆知識

『太平洋の鷲』(たいへいようのわし、副題『日本連合艦隊はかく戦えり』)は、1953年(昭和28年)10月21日に公開された戦争映画である。製作・配給は東宝。モノクロ、スタンダード。上映時間は119分。監督は本多猪四郎、脚本は橋本忍、特殊技術は円谷英二、主演は大河内傳次郎。昭和28年度芸術祭参加作品。

製作

のちに『ゴジラ』(1954年)を生み出すことになる本多猪四郎と円谷英二の初コンビ作品である。本多は、本作品でも描いている太平洋戦争開戦当時は中支戦線で従軍しており、山本五十六と近衛文麿が開戦について語る場面では身の引き締まる思いで演出を行ったという。当初、本多は神風特別攻撃隊を題材とすることを検討していたが、プロデューサーの森岩雄が時期尚早と判断し、内容を改めた。

森は、ハリウッドの製作方式を参考に絵コンテを細分化した「ピクトリアル・スケッチ」を導入し、本編と特撮の合理化が図られた。ただし、戦闘シーンは主に『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)や『加藤隼戦闘隊』(1944年)などの戦争映画からの流用である。そのため、海軍には配備されていない一式戦闘機が多く登場するほか、スーパーマリン スピットファイアなどのイギリス軍戦闘機がミッドウェー島に存在する。

撮影に際し、漁船を改造した航空母艦「赤城」および「飛龍」の13メートル大の巨大ミニチュアや実物大セットなどが組まれた。ミニチュアの設計・制作は、本作品で東宝特撮に初参加した美術助手の入江義夫が手掛けた。このミニチュアの撮影は、勝浦および多摩川で行われた。撮影を担当した有川貞昌は、ミニチュアの船内に乗り込んで小さな穴からレンズを出して水雷による水柱を撮影しており、いつ分解してもおかしくないひ弱な船内にて板子の一枚下は地獄の心持ちであったと述べている。さらに、円谷の発案で沖に出て撮影することになり、美術部の反対を押し切って出た外洋にて有川は無事に帰れるか不安に感じていたが、円谷は船上でも一心不乱にコンテ作りを行っていたという。実物大セットは大井競馬場の隣接地に建てられ、地元の人間も作業に動員されたが、舞台責任者の跡見昭は入れ墨のある職人が言うことを聞かず苦労した旨を述懐している。

クライマックスでの一式陸攻がジャングル上空を飛ぶシーンでは、カメラと一式陸攻のミニチュアを固定し、台車上に作ったセットを動かして撮影している。P-38 ライトニングのミニチュアにはUコンが用いられたが、実機の着陸脚が引き込み式であることから車輪を付けられず、発進時は手で投げている。

本編での飛行場のシーンは、伊勢市の旧日本陸軍明野飛行場跡地でロケが行われたが、最初の1週間は雨天で撮影できず、撮り切れなかった部分は東宝撮影所で撮影している。整備兵役の加藤茂雄によれば、雨天で撮休の間は釣りをしたり、ミキモト真珠島を見学したりしていたという。

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