細雪 (1983)
明日の嵐を予感して今を絢燗と咲く女たち―
滅びゆく名家の四姉妹の顛末を描く、谷崎潤一郎の小説の3度目の映画化。掴みどころのない三女役で、従来と一味違う色香を放つ吉永小百合をはじめ、幻想的な照明や豪華な衣装など、強力なスタッフのサポートを得た市川崑監督の、女優の魅力を存分に引き出す演出が堪能できる。昭和13年、大阪・船場の蒔岡家では、次女・幸子(佐久間)らが三女・雪子(吉永)の見合い話を次々と持ちかけるが、一向に要領を得ず、話がまとまらない。
キャスト
- 岸恵子 — Tsuruko Makioka
- 佐久間良子 — Sachiko Makioka
- 吉永小百合 — Yukiko Makioka
- 古手川祐子 — Taeko Makioka
- 石坂浩二 — Teinosuke
- 細川俊之 — Hashidera
- 岸部一徳 — Itakura
- 伊丹十三 — Tatsuo
- 江本孟紀 — Higashiya
- 浜村純 — Otokichi
- 小林昭二 — Seitaro Jinba
- 小坂一也 — Nomura
豆知識
- 原作:細雪
『細雪』(ささめゆき)は、谷崎潤一郎の『細雪』を原作に1983年5月21日に公開された日本映画。製作は東宝映画。配給は東宝。イーストマンカラー。ビスタビジョン。上映時間は140分。東宝創立50周年記念映画。
製作
原作の発表から映画化に意欲を燃やしていた市川崑は、当時、東宝のプロデューサーだった馬場和夫に東宝50周年の記念映画として企画を提案し、宣伝部長だった林醇一と製作補佐の高井英幸も賛同して映画の製作が始まった。高井は1982年8月に上司の田中友幸東宝映画社長から「手伝ってくれ」と言われ、準備中の本作に「途中参加した」と話している。
脚本段階で市川は、戦前の作品である原作を戦後の人々が共感する映画に仕立てる難しさを感じ、元脚本家で市川の妻・和田夏十にも「なぜあなたが今これをやりたいのか、私には解らない」と指摘され、和田の指示の元、レジュメを脚本家の日高真也と書き上げて和田に提出するが、「やっぱり、私が危惧したように、今、これを取り上げる意味はないんじゃないかと思う」とダメ出しされた。しかし、どうしても映画化を諦めきれない市川に、和田は「思い切って、こういう女性たちは現代にいないという視点から考えてみたらどう?」と助言し、それを基に公開当時の人々に媚びる方針は撤回され、さらに原作で数年越しの話を、桜の花見から始まって雪で終わる1年の出来事に凝縮し、『神戸の大水害』や『外国人一家の話』、『蛍狩り』などの逸話も悉くカットして、主人公4姉妹の日常生活のみを描くという話に終始する脚本初稿を半年かけて書き上げた。
役者が話す台詞に対しては、舞台である船場の言葉が通常の関西弁とは異なるため、事前に原作者である谷崎の夫人である谷崎松子に台本チェックを依頼して台詞校訂を行った上で、さらに撮影当日は方言指導の担当者を毎日現場に呼んで、イントネーションの僅かな違いを徹底的に修正するという作業が行われた。
ラストの花見の回想に入る直前の小料理屋における貞之助と女将のシーンは、和田夏十が執筆した。当時の和田は病気療養中であり、しかも休筆以来滅多にシナリオを書くことはなかったが、この場面だけは「サーッと書いてくれた」という。本作は1983年1月下旬にクランクアップしたが、和田は完成した作品を観ることなく2月18日に逝去したため、本作が実質的な遺作となった。病状が急変する前、それまでに撮り終えた場面のラッシュを市川監督がビデオに起こして自宅で観せたところ、和田は「養子の2人の男性が素晴らしい」「あの2人がとてもうまく描けているから成功しているんじゃないか」と喜んでいたという。
はじめ、蒔岡鶴子役は山本富士子に主演を依頼していたが、当時の彼女は舞台中心に活動していたために、半年もの交渉の末に出演を拒否した。市川監督が当時パリ在住の岸惠子に国際電話で出演を依頼し、「仕方ないからあんたに」「ミスキャストで申し訳ないが」「惠子ちゃんの関西弁ヘタなんやけれど山本富士子に断られて困っとるんや」と懇願され、即答で引き受けて一時帰国したエピソードを岸自身が「市川崑監督を偲ぶ会」で披露した。またこれらの経緯は、後年に日本経済新聞の連載「私の履歴書」で岸が詳細に書いている。その結果、佐久間良子と岸で物語を牽引して上質な作品にすることに成功している。さらにこの映画を見た山本は「出演していればよかった」と後悔の念を語ったと言われている。
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