時雨の記

時雨の記 (1998)

Kounosuke Mibu and Tae Horikawa are unable to forget each other, even though they met and fell in love 20 years ago. They had promised each other that they would build a retreat in Shiguretei, but Ushio was hospitalized after a stroke a few days later, and when his wife, Takako, rushed to the hospital, she discovered their love affair, which in reality had not gone beyond kissing. Now, 20 years later, against the advice of her ikebana mentor, Tae rushes to meet Ushio at Shiguretei, only to see him clutching his chest in pain. Eventually, the design and plans for the dream retreat are seen by Tae, but she has to visit Kyoto alone... or maybe she's heading for somewhere else.

公開日
1998-11-14
TMDB
7.7 / 10 (3)
上映時間(分)
1時間56分
ジャンル
ロマンス
監督
澤井信一郎

キャスト

豆知識

『時雨の記』(しぐれのき)は1977年発表の中里恒子の小説(文藝春秋刊)、それを元にした1998年製作の日本映画。吉永小百合主演、監督澤井信一郎。

製作

企画は吉永小百合。中里恒子の同名小説は四十代と五十代の恋を描き、1977年の発表当時"時雨族"なる流行語を生んだ。吉永は発表直後に本を読み感動し、以来、年に一・二度読み返し、いつかは映画化したいと思い続けた。しかし、自身がこういうものをやりたいと口に出しても実らないことが多く、ずっと胸にしまっていた。具体的なことは何もなかったが、吉永は個人的に動き、既に没していた中里の代理人に自分の考えは伝えていた。東宝に打診するも良い返事は得られず、岡田裕介に企画を持ち込むも、この時は東映でも企画が通らなかった。1997年に吉永が日活時代から付き合いの長いセントラル・アーツ代表の黒澤満プロデューサーに相談したところ、「もう少し待った方がいい」と進言された。

しかし当時の日本映画を取り巻く状況では、このような性描写のないオーソドックスな大人の恋愛映画を製作できる見込みはなかった。1990年代の日本映画界は、アニメーション映画とテレビ局主導による映画に押され、どこも自社製作映画のヒットが出せず、年を追うごとにこの傾向が強くなった。東映は邦画大手の中ではコンスタントに自社製作を続けてはいたが、1970年代から制作投資を控えて、強固な興行網構築に乗り出した東宝と差が広がっていくばかりだった。東映は動画が手掛けるアニメの海外での版権収入が1990年代に伸びて、東映会長の岡田茂はアニメがヒットしている間に何らかの手を打つよう檄を飛ばしていたが、稼ぎ頭だった東映Vシネマを主力とするビデオ事業もオリジナルビデオの過剰乱立とブームの沈静化により1994年頃から売上げを落とし厳しい状況が続いた。

特に伝統のヤクザ映画で赤字番組が続出し、配収5000万円などと、配収が一億円を割るというメジャー映画会社の劇場公開映画と思えない作品を出し始めた。いくら東映は二次使用、三次使用が強いといっても、あまりの不入り映画はテレビ局にも放映権を高く売れず、レンタルビデオ店も引き取らない。1994年には年間の本番線約半分にアニメが乗る状況となった。

岡田は1990年代前後には東映一社で版権を持っておいた方がいいと、提携に頼らない自前で映画を作れと指示していたが、自社製作映画のあまりの成績の悪さから1996年に遂に激怒し、東映発足以来堅持して来た自社製作路線を軌道修正、リスクの軽減やメディアミックス展開を狙いとした提携作品の強化を指示し、本作が製作された1998年は東映発足以来、自社製作が0になった。

1997年は岡田がプロモートした『失楽園』と『新世紀エヴァンゲリオン』がメガヒットしたため、たまたま配収で前年比68.8%伸びたが、『失楽園』の映画とテレビドラマの大ヒットもあって性的描写が話題になる不倫劇が大流行となり、性描写一切なしで、いかにもメロドラマてんこ盛りの純愛ものを大真面目で作ろうという考えは、当時の状況では浮世離れしていた。撮影の木村大作は後に「今世紀最大の冒険映画」と評した。

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