ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣

ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣 (1970)

凄い!強い!新怪獣だ。地球を狙う宇宙人が怪獣になって襲ってくる!

セルジオ島にイカの怪物ゲゾラが出現した。カメラマンの工藤は、アジア開発の宣伝部員アヤ子と生物学者の宮、自称風俗研究家の小畑と共に島に向かう。宮と工藤が調査のため海中に潜った時、突然周囲が青光り、海底が吹き上がるとゲゾラがおそってきた。アヤ子からゲゾラがかがり火に慌てたことを聞いた二人は、島民と協力しゲゾラをガソリンで撃退した。しかし、その他以内から這い出たアメーバ状の物体が、カニの化け物ガニメとなって再び工藤たちに襲い掛かった。さらに新たに巨大ガメ・ガメーバも現れた。南海を舞台に、大怪獣の決戦が始まった!

公開日
1970-08-01
TMDB
6.4 / 10 (56)
上映時間(分)
1時間24分
ジャンル
サイエンスフィクション, アドベンチャー, ホラー
監督
本多猪四郎

キャスト

豆知識

『ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦! 南海の大怪獣』 、1970年(昭和45年)8月1日に公開された特撮映画作品。製作・配給は東宝。カラー、シネマスコープ(ワイド)。上映時間は84分。監督は本多猪四郎、主演は久保明。

製作

検討用台本の作成時点で病気療養中であった円谷英二は参加意欲を見せていたため、台本には特技監修の肩書きで記載されており、ポスターなどもこれに準じたものが作られている。クランクイン直後の1970年1月25日には円谷が死去し、告別式には撮影を中断して参加したスタッフが、おやじ(円谷)への恩返しと円谷特撮技術の総決算を誓った。

原案は1966年にアメリカとの合作用に書かれた検討用脚本の1つ『怪獣大襲撃』であり、1969年に発表された製作ラインナップにもこのタイトルで記載されている。原案となった検討用脚本では、宇宙からやってきた巨大生物群によって世界規模の天変地異が起こり、人類存亡の危機が迫る中で科学者らが怪獣の弱点を探るという大規模なものとなっていた。この企画は一度見送られたものの、急遽1970年の春休み公開に間に合わせるため、完成済みの脚本が活用されることとなった。ここから1969年時点の製作費に合わせた改稿に時間がかかり、最終的な台本となる『決戦! 南海の大怪獣』第3稿が完成したのは1970年1月となった。同月に本編の撮影、翌2月に特撮がそれぞれ開始されたが、春休みの公開が危ぶまれたことから夏に延期された。春期プログラムには、本作品の代わりに『キングコング対ゴジラ』(1962年)の再編集版が組み込まれた。

セルジオ島の野外シーンは、1970年2月3日から同月27日まで八丈島にてロケーション撮影が行われた。同期間の八丈島は雪が降るほどの寒さに見舞われており、土屋嘉男や監督の本多猪四郎と一緒にコート姿の高橋厚子を写したスナップが残っている。高橋自身も後年のインタビューで「とても寒かった」と語っているほか、東宝プロデューサーの田中文雄も寒かったことを証言している。助監督の谷清次は、八丈島での予想外の降雪に頭を抱えたほか、行き帰りも天候が荒れて苦労したと述懐している。サキ役の小林夕岐子は、八丈島での寒さに加え、全身にドーランを塗る際にぬるま湯を用いていたことも寒さを助長していたが、(寒さ対策として)背中にカイロを長時間入れていたために火傷するなどの苦労もあったという。

島民役の加藤茂雄は、リハーサルでセリフを片言でしゃべったところ、本多から「普通のしゃべり方でいい」と直され、本多はリアリティよりも子供たちへのわかりやすさを重視していたという。

音楽は伊福部昭が担当した。各怪獣ごとにテーマが設けられているが、伊福部は「なにせイカ、カニ、亀ですから。それがいくら大きくなっても」と、生物が巨大化しただけの怪獣には音楽的要素が感じられなかったといい、大した楽曲は書くことができなかったと述べている。メインタイトルはガニメのテーマとなっている。楽器編成では、コンボオルガンやエレクトーン、ヴィブラフォンなどが特徴的に用いられている。

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