ゴジラvsスペースゴジラ

ゴジラvsスペースゴジラ (1994)

破壊神降臨

ゴジラシリーズ第21作。「平成シリーズ」第6作。国連G対策センターでは、Gフォースによる対ゴジラ最新兵器MOGERAの開発である「Mプロジェクト」と、テレパシーによってゴジラをコントロールする「Tプロジェクト」の2つのプロジェクトが進行していた。そんな中、突如、宇宙の彼方から巨大な宇宙怪獣が飛来し、バース島でリトルゴジラを結晶体に封印。その後日本各地を襲撃して福岡へ上陸。巨大な結晶で周囲を埋め尽くす。その正体は、かつて宇宙へ飛散したG細胞から誕生したスペースゴジラであった。ついに迎撃に出動したMOGERAと、鹿児島から九州へと上陸したゴジラは福岡に集結し、スペースゴジラとの頂上決戦が始まる!

公開日
1994-12-10
TMDB
6.7 / 10 (257)
上映時間(分)
1時間48分
ジャンル
アクション, アドベンチャー, サイエンスフィクション
監督
山下賢章
シリーズ
ゴジラ(平成) シリーズ

キャスト

豆知識

  • 撮影地:日本

『ゴジラvsスペースゴジラ』 は1994年(平成6年)12月10日に公開された日本映画。ゴジラシリーズの第21作である。製作は東宝映画、配給は東宝。監督は山下賢章、脚本は柏原寛司。カラー、ビスタビジョン、ドルビーステレオ。上映時間は108分。略称は『VSスペゴジ』『VSスペースゴジラ』『vsSG』。キャッチコピーは「破壊神降臨」。監督は山下賢章、主演は橋爪淳。

制作

本来は前作の『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)でシリーズが一旦終了する予定であったが、トライスター版ゴジラの制作が遅れていたために急遽(きゅうきょ)制作された作品である。東宝プロデューサーの富山省吾は、状況の分からない海外の都合を気にしながら制作するのは不自由なため、そちらは気にせず独自の新怪獣でやっていくことにしたと述べている。また、劇場側からゴジラに対する要望も根強かったとされる。

前作までに過去の人気怪獣はほとんど出していたため、アンケートでも上位に挙がっていた新怪獣を登場させることとなり、これまでVSシリーズでは扱っていなかった宇宙怪獣となった。当初は『ゴジラvsキングギドラ』(1991年)に登場したキングギドラとは異なる、本来の設定の宇宙超怪獣であるキングギドラを敵に迎えた作品が検討されていたが、直前に公開された『ヤマトタケル』(1994年)に登場するヤマタノオロチがギドラに似ていたことからゴジラ型の新怪獣へと企画が変更された。基本設定は、小林晋一郎による企画書『ゴジラVSネオゴジラ』を元にしている。アンギラスも候補に挙がっていたが、アンケートの順位が低く、四足歩行怪獣も難しいとの判断から採用されなかった。富山は、キングコングを捩った「キングゴクウ」というキャラクターを発想していたが、企画書にすることもなく自粛された。制作が決まった際は、前作よりメカゴジラの続投が案に挙がったが、特技監督の川北紘一から「同じのじゃつまらないでしょ」という意見でモゲラに決まった。

前作の主要スタッフは当時『ヤマトタケル』の撮影に入っており、監督の山下賢章や脚本の柏原寛司など平成VSシリーズの経験がなかった新規のスタッフが参加している。ハリウッド版「ゴジラ」が本決まりになる時期から、休止を意識して『ヤマトタケル』など「平成ゴジラ」に代わる特撮映画のシリーズ化を構想しており、『ヤマトタケル』の企画も本決まりとなったが、日本の「ゴジラ」の継続が内定したため、富山はほぼ並行して2つの特撮映画を抱えることになり、製作補として有正真一郎が参加した。富山は、前作で一度やりきっているため全部新しくしようという狙いもあったと語っている。

山下は、『メカゴジラの逆襲』(1975年)でチーフ助監督、『ゴジラ』(1984年)でB斑監督を務めるベテランであったが、監督を務める機会に恵まれず、本作品は『トラブルマン 笑うと殺すゾ』『19 ナインティーン』(1987年)に続く3本目の監督作であり、富山からそのアクション志向を期待されてオファーされている。また、特撮とのコミュニケーションをスムーズに行うため東宝撮影所出身者が良いとの判断もあった。山下は、次回作に向けて映画の企画をいくつか立てていく中でゴジラについてもアイデアを抱いており、オファーの際にそれを伝えたところプロデューサー側から好感触を得て、話が具体的になっていったと述懐している。後年のインタビューで富山は、本作品は後のミレニアムシリーズと同じく監督中心の制作体制であったと述べている。

柏原は、東宝で企画していた植木等の主演映画や高嶋政伸主演で予定されていた若大将シリーズのリメイク企画などに参加していたがどちらも流れ、本作品に至った。柏原自身は本作品制作の時点では起用された理由を知らず、「なぜか電話がかかってきて書くことになった」と述べていた。富山は、山下と柏原が懇意であったことも判断材料になったと述べている。

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