実録・私設銀座警察 (1973)
銀座暴力史に血の一頁!
1946年、第二次世界大戦終結直後の日本。米占領軍が荒廃した東京の街をパトロールする中、戦争帰還兵とギャンブラーからなる自暴自棄で野心的なグループが、錯乱した兵士の助けを借りて銀座の裏社会を支配しようと奮闘する。
キャスト
豆知識
実録・私設銀座警察(じつろく・しせつぎんざけいさつ)は、1973年(昭和48年)7月4日に公開された日本映画。東映東京撮影所製作、配給東映。
製作
1973年の東映正月映画第二弾『仁義なき戦い』の予想外の大ヒットで、岡田茂東映社長は任侠路線を打ち切り、急速に実録路線への転換を進めた。このため1973年に当初は全く製作予定のなかった実録映画、『仁義なき戦い』の続編、『山口組三代目』安藤組の続編などを、どんどんラインナップに入れた。この決定により、実録路線でない映画は延期されたり、製作中止された。この路線変更で、スターも新旧交替した。本作の製作確定のアナウンスがあったのは1973年5月17日に東映本社であった記者会見の席だった。佐藤純彌監督は「当時、実録路線が成功していましたけど、まだきれいごとみたいな部分があって、実際はもっと凄いんだ、というところを映画にしようとしたんだ」などと述べている。
企画は東映の社員プロデューサー・吉田達。佐藤監督は「多分プロデューサーが、『私設銀座警察』という名前(題名)だけ会社に提出して企画を通して、後はこちら任せといった感じだったように思います。この時期の企画をいい加減なものが多かったですから(笑)」などと述べている。銀座警察を題材とする映画は、佐藤監督にとっては、1967年の『続・組織暴力』、1969年の『組織暴力 兄弟盃』に続いて三作目になる。「私設銀座警察」という名前は『夕刊読売』1950年3月9日付で初めて用いられたとされており、東映の命名したタイトルではない。
ノンクレジットながら実際は安藤昇の原作があり、脚本は勝手に作り変えたという。脚本の神波史男と松田寛夫が「混沌を描きたい」と言い出したが、佐藤監督は「映画で混沌を描くのは難しい」と感じていた。二人が書いてきたホンは混沌ではなく混乱のように思えた。それで3人で旅館に籠り1カ月かけてホンをまとめた。佐藤と神波は日比谷高校の同級生で、好き勝手言い合える仲。佐藤は神波は屈折しているところが面白いと評価していた。3人は同世代で馬が合ったという。銀座警察を題材とした前二作に比べると主人公が途中であっさり死んだり、ストーリーが意表を突きまくるもので、ラストはヤクザと芸者衆たちの乱交パーティ。ボカシが入りまくるため、梅宮辰夫を始め、男女の役者のヘアや局部が映っているものと見られる。裸踊りをする太古八郎(たこ八郎)が目立つが、宇佐美義一(葉山良二)が芸者を強姦するシーンで「大陸戦線で…36人突きの腕前見せてやる」と言う。
佐藤は「戦後、日本が新生していく生みの苦しみの中から派生していく悪夢のような混沌を、蓋をせずに描いてみた」と述べている。当時の東映は勢いがあり、「好き勝手にやらせてくれた」という。1:00頃、樋口勝(梅宮辰夫)が「なんせ天〇陛〇が毛唐の大将に尻尾振る世の中だからよ」という。逮捕された斉藤実(田口計)が、築地警察署と看板を掲げた建物から出てくるシーンがある。後半、福山(内田朝雄)が天ぷらで揚げられた後、豚小屋で豚に喰われるシーンは、2018年の『孤狼の血』の冒頭シーンにオマージュとして使用されている。
Wikipediaで続きを読む · テキストはWikipedia、CC BY-SA 4.0。データはWikidata。